PR

新米パパ 育休体験日記(vol.2)~ 子ども中心の生活とは?? ~

モノ紹介・日記
記事内に広告が含まれています。

皆さんは子ども中心の生活と聞いて、どんな生活を想像しますか??ボクは大切な生活の軸のひとつなのではないかという考えに至りました。

子どもができる前後でのボクの考えの変化をまとめています。同じ疑問を持った人の考える足しになれば嬉しいです。

スポンサーリンク

子どもがいない時の考え

子供中心の生活というものが、どういうものなのか??

独身であったり、結婚していても夫婦だけの生活だと、全く実感がなかった。

独身のときの子ども中心っていう言葉は、自分の時間を削って子供に生活を捧げることだと思っており、あまり良い印象ではなかった。

それは、自己犠牲で成り立つことで、自分が犠牲になることで子どもや家族の幸せを叶えるものだと。ネガティブに捉えていた。

当時、ボクは子供できたとしても、自分個人の時間を大切にしたい。もしも、自己犠牲で成り立つ子供中心の生活をするのではなく、子育てとは別に自分の時間を両立するバランスの良い生活がしたいと考えていた。

子どもと生活するようになって

しかし、子供が産まれて、育てている現在、そういうことではないのだと感じた。

子ども中心っていうのは、自己犠牲ではないということに気づいた。

子どもというのは、自分の一部のような感覚であり、それが夫婦で共有できる大切なものだからこそ、子ども中心の生活になるんだと考えが変化した。

別に自分の時間を削っているわけではなく、無理やりに子供に費やす時間を捻出しているのではない。

別の生活の大きな軸が他にあったとしても、自然と自分の一部である子どものことを考慮して行動するようになっていく。

例えば、自分自身の体の一部を怪我した場合、その部分をいたわって休憩をこまめに取ったり、怪我した部分を使わないように注意して生活を送るようになると思う。

同じように、自分の一部のような存在である赤ちゃんを気にして生活するようになる、そんな感覚に近い。

仮に、怪我して動かない足や手に「生活スタイルをいつも通りに合わせろ!!」なんて言うて無理矢理動かしても、病状は悪化するだろうし、ちゃんと動くはずもない。

子ども言う存在は自分自身の一部だけど、物理的には切り離された存在と考えれば、自己犠牲ではなく、ただ自分の一部を労っている、意識していると考えれるのではないだろうか。

また、パートナーも同じくらいもしくはそれ以上に生活が変化しているはずであり、おのずと子どもという一部分が意識下にあるはずである。

そうなると、夫婦お互いの共通意識が「子ども」になる。

「子どもをお風呂に入れるけど今日はパパママどっちが入れる??」、

「今度子どもとここの公園に行ってみたいね!」

とか夫婦の会話や生活の一部に溶けこんでいく。

自己犠牲なんて思うことなどなにもなく、自然に夫婦の生活の一部として溶けこんでいく。

子ども中心とは自己犠牲なんかではなく、夫婦またはそれ以上の家族が共通して自然に意識して行動する生活の大きな軸という意味ではないのかという考えに至った。

まとめ

結局は、無理して子ども中心の生活にすることはない。子どもがいるという認識さえあれば自然と子どもが生活の軸となっていく。

子どもができる予定の人、できて間もない人は、今までの生活からの変化に対応していくのに時間がかかるかもしれない。

しかし、時間を経つと自ずと軸ができていく。

その上で自分の仕事や趣味などの軸と噛み合わせていけば良い。

ボクは、子どもが産まれてから1ヶ月経たない間に長期間の育休を取得することができた。育休を取得できない、しない人よりも、子どもに接する時間もたくさんあり、積極的に育児に参加しているため、子どもという軸が早く生活に溶け込みつつある。子どもという今までになかった軸を大切にしながら、生活をより豊かなものにしていきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました