この話は「日々生活や仕事は正直であれ。」という教訓を子供に楽しく教えることができます。ぜひお子さんに読み聞かせてあげてください。
あらすじ
正直な仕立て屋さんのいる国で雨の降らない日が何週間も続きました。
作物や家畜は死に、国中の人が困っていたところ、聖職者の夢の中で神様のお告げがありました。
仕立て屋さんに祈りを捧げさせなさい。
そうすれば雨を降らせよう。
こういう神様のお告げが聖職者さんにありました。
ところが、仕立て屋さんは学問の無い人で、
聖書を読むための文字も分からないし、聖書の内容もよく憶えていない人物です。
だから、聖職者さんは
きっとこの夢は間違いだ。
そう思って無視していました。
そして聖職者さんは文字の読める学のある人たちを集めて祈らせましたが、
やはり一向に雨は降りませんでした。
その間も仕立て屋さんに祈りを捧げさせよ。
というお告げが繰り返し繰り返し何度も夢の中にあらわれます。
そこでとうとう聖職者さんは仕立て屋さんに祈らせることにしました。
人々の代表として祈り台に上った仕立屋さんは、いつも使っている巻き尺持ってこう祈りました。
「神様、私は仕立て屋を始めて40年になりますが、ただの一度も人を騙したりずる賢い商売をしたことはありません。この巻き尺をご覧になってもおわかりの通りまったく黒いのない正確な巻き尺を使っています。
でも、ほかの人は違います。
わざとメモリを狭くした巻尺を使って記事を多く使ったように見せかけ、高い料金をぼったくる仕立て屋。わざとはかりを狂わせて粉の量をごまかすこなや同じようには狩りを狂わせて油の量をちょろまかす油屋。
でも私は違います。そういうことは一切していません。
どうぞこの私の正直で適正な商売を評価していただけるならば何卒雨を降らせてください。
するとついに雨が降り出しました。その雨で国中が救われました。
これを知った人々は自分の店に跳んで帰るはかりや巻尺を正しいものに直しました。
終わり
子供に読み聞かせたいタルムード小話
タルムード小話の中には子供に伝える物語が数多く収録されており、その多くに学びがあります。
ユダヤ人家庭では母親が子供にこの小話を読み聞かせ、話の中で
「あなたならどうする?」
「なぜそう思う?」
といった質問をしながらコミュニケーションをとっているそう。
子供のうちからいろんな場面で「なぜ?」「どうする?」を楽しく会話することで、
思考の体力を養う教育をしています。
これが、ユダヤ人家庭では当たり前となっていることは驚きです。
子供には
お金に不自由してもらいたくない。
大人になって、周りに流されずに、考えて行動できるようになって欲しい。
そう考えて、ユダヤ家庭のように我が家では
子供にタルムードの小話を読み聞かせて、対話の機会を作っています。
皆さんのお子さんにも是非、タルムードお話を読み聞かせしてみてはどうでしょうか??
また、タルムードの話は、以下の記事でも紹介しています。
まだ見ていない人は、今回の話を見終わったらぜひご覧ください。
お金の教育に大切なマインドの大原則を解説しています。
タルムードに関して、1点だけ注意点があります。
聖典とみなされているのは、ヘブライ語で書かれたタルムードのみです。
他言語に翻訳されたものは誤訳の可能性があるため、より詳しく・正しく学びたい場合は専門書等を通じて学んでみてください。
今回の記事は、「ユダヤ人の成功哲学タルムード金言集」という日本語で解説したものを参考にしていますので、この点をご承知ください。
正直な仕立て屋で学ぶポイント
この説話で教えていることは、大切なことは、お金そのものではなく、『正直な生き方を貫くこと』ということです。
ユダヤ教ではお金に関して考えるとき、二面性について考えます。
お金はもちろん大切です。あれば人生を幸福にするものの1つとしてユダヤ人も考えています。
でもマイナス面もあり、お金を追求しすぎると大切なはずの
「適正さ」「正直さ」が疎かになることも…
正直な仕立て屋の小話では
「適正さ」「正直さ」にも忘れずに意識を向ける大切さを学ぶことができます。
でも逆の言葉で、「正直モノがバカを見る」って言葉もありますよね。
いつでも全てを正直に喋ったもしても報われるっていうことはありません。
時と場合によります。
もしも話す相手が神様ではなく、ズル賢い商売者だったら??
絶対に敵対してしまいますよね。もしらしたら、攻撃を受けるかもしれません。
このお話の仕立て屋さんも、神様が現れる前までは、
周囲の人間には本音を言っておらず、必要ない波は立てない風に過ごしていたんだと思います。
理不尽にまみれた現実社会では余計に「ただの正直者はバカを見るだけ」。
真の賢い正直者は、
自分の信念として「自分が正直でありさえすれば良い」と考える人です。
他人がどうか や 他人からどう見られるか について気にしません。
あくまで、自身の内面の問題として「自分の正直さ」を守り抜ける人です。
もともと聖職者も、国民たちも
仕立て屋さんの正直さなんて気にも留めていないし、
評価して祈らせようと思っていませんでした。
そんな状態でしたが、神様だけは見ていました。
この仕立て屋は、40年にわたり不平・不満を言わず、誰も見ていないところでずっと「正直」を貫き通していました。
だからこそ、祝福されたのです。
私たちも自分自身を信じ抜く、賢い正直モノになっていきたいですね。
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